総武線稲毛駅近くの自宅から見える東京湾、富士山、幕張新都心などの写真です。 キノ計装のHPから移動してきました。写真をすべて入れ替えました。 千葉市民花火大会「幕張ビーチ花火フェスタ」を追加しました。 「稲毛あかり祭り」を追加しました。 「愛新覚羅ゆかりの家」を追加しました。 「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」を追加しました。 クリックすると大きく見られます。 前に戻るときは「戻る」をクリックして下さい。
稲毛から望む富士山 東京湾の右に富士山が見えます。冬の間は天気が悪くない限り殆ど毎日見えますが、本当に綺麗なのはやはり空気が澄んだ正月の3日間です。後は強風の日、でも写真を撮るのも寒いし風は強いし大変です。 写真では明るい時の富士山は空の色にとけ込んでなかなかはっきり写りません。PLフィルタを付ければもっと綺麗に撮れるのかもしれません。 日が沈む富士山はうっとりするほど綺麗です。どちらかと言うと雲のある日の方が表情があって良いのですが、そんな日は残念ながら富士山も隠れている日が多くなってしまいます。 下段右の写真は一週間後に稲毛からダイヤモンド富士が見られるとのことでしたが、天気予報があまり良くありませんでした。そこで今のうちに撮っておこうと撮ったものです。天気予報通り一週間後は全く富士山は見えませんでした。でも一週間で太陽が沈む位置はそんなに動くのですね。 稲毛から見る東京湾 富士山が見えるような日は東京湾も綺麗です。東京湾の白波が肉眼でもはっきり見えます・・が寒いです。 上段左の写真でははっきりしませんが左が木更津です。ここから東京湾横断道路が延びて、画面右に隠れてしまいましたが海ホタルになります。 右の写真では東京湾横断道路の換気塔と遙か彼方の三浦半島の山が見えます。 下段左の写真では羽田空港が見えます。写真にも写っていますが管制塔のタワーや駐機している飛行機まで見えます。といって飛行機は双眼鏡を使わなければ到底無理です。 右の写真ではゲートブリッジが見えます。この橋は本当に大きいようで肉眼でも確認出来ます。 稲毛駅近辺から見る東京湾に沈む夕日は稲毛海岸のビル群の間になってしまいあまり面白くはありません。上段左の写真はたまたま羽田に着陸する飛行機が夕日の中に入り、雲も面白かったので載せました。 上段右の写真はゲートブリッジの夜景です。480mm相当で望遠で撮ってここまでです。 下段左の写真は二カ所から花火が上がっています。左側の花火は東京ディズニーランドの花火ですが右側下に観覧車が見えます。方角からすると稲毛からは葛西臨海公園とお台場の観覧車が近い角度のありますが、多分お台場の観覧車です。そのアップ写真が右側です。 右側の花火は隅田川花火大会だったと思います。音と花火がずれますが十分楽しめます。 稲毛から見た幕張ビル群 幕張新都心です。一番左の細長いビルがアパホテルです。双眼鏡で見ますとアパホテルの直ぐ左下に新宿の都庁が見えます。 空気が綺麗なときは幕張方向に双眼鏡で東京タワーも見られます。 スカイツリーもビルの間からはっきり見えるのですが、ちょうど下部がどこかのアンテナに重なってしまっています。 夕日は夏になると幕張ビル群の間に沈みます。それもまた人工的ではありますが見応えがあります。 夜は照明がきれいです。スカイツリーもイベントや季節などで照明を色々変えているようですが、撮影できるタイミングが限られますので今まで撮った写真は大体同じに見えます。ダイナミックに変わると違うのでしょうが。 千葉市民花火大会 千葉市花火大会は稲毛海岸から千葉港に移り、今は幕張海岸で行われ、「幕張ビーチ花火フェスタ」と呼ばれています。自宅から見ると千葉港の方が近いのですが、雰囲気的には幕張の方がビル群の間から打ち上げられる都会の花火大会という感じです。 2014年は8月2日に開催されましたが、天気も良く風も適当な強さで、これは写真日和とベランダに三脚を立て、望遠レンズと手振れ防止にレリーズをセットしていざ撮影・・。おっとその前に体の準備、早めの食事でまずワインを飲み、更に焼酎に移って準備は整いました。 ところが花火の撮影が結構難しい。遠いので音はあてにできない。シャッタースピードを遅くするとビル群の光が邪魔をする。その上やはりレリーズではシャッター応答に若干遅れが出る。でも楽しみでやっているのだからついでにと色々試してみた結果、最終的に絞り優先F5.6、ISO感度200固定、露出補正−1、手動フォーカスで撮影しました。シャッタースピードは1秒強です。 まあそれなりに面白いのが撮れたかなと、ここに載せてみました。全て花火主体に3:2サイズにトリミングしてあります。 遠くからですので仕掛け花火は全く見えず、音の迫力もあまりなく、19時半に始まって1時間で終了。 打ち上げ花火はそれなりに綺麗に見えましたが、写真を撮っているのが楽しかったと云った感じで、花火大会としてみるとやはり遠くからの観賞は消化不足でした。やはりお腹に響く音も大事な要素ですね。 稲毛あかり祭り 秋、京成稲毛から浅間神社裏の稲毛公園までを灯籠で照らす稲毛あかり祭りが開かれます。昔の埋め立て前の稲毛海岸では新月の夜にカンテラを灯して潮溜まりの魚を捕る遊び漁「夜とぼし漁」があったそうです。それにちなんで灯籠の夜灯を「よとぼし」と読むそうです。 灯籠のは子供たちや商店街の人たちが作ってくれます。子供たちが両親と自分の作った灯籠を探している姿を見ると微笑ましいです。 左の写真は京成稲毛駅前の消防小屋後に作られた火の見櫓を模した灯りの塔です。せんげん通り商店街は車両通行止めになっていないので道路半分の使用ですが、稲毛公園は一面の灯籠でロウソクの火が揺らぎ幻想的です。 この日は途中から急に土砂降りの雨になり早々に帰宅しましたが、前夜祭も含め色々なイベントがあるようです。 愛新覚羅ゆかりの家 浅間神社横の細い道にあります。中国清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑(ふけつ)夫妻が、新婚時代の昭和12年に半年ほど居を構えた、風情ある建物です。古風な建物、溥儀の書や写真が飾られており、いずれも文化遺産として貴重なものです。 夫妻の地位を考えると質素な造りに感じられましたが、他に見学者もいなかったので自由にゆっくろ見学している内に、ある種の懐かしさを感じました。 庭園は四季折々の花が楽しめるそうですが、時期悪く花を楽しむことは出来ませんでした。春の白雲木(はくうんぼく)が素晴らしいとのことですので、また訪れて見たいと思います。 旧神谷伝兵衛稲毛別荘 京成稲毛から浅間神社前の国道を千葉方面に歩いて行くと左側の高台に神谷伝兵衛の旧別荘があります。 「市民ギャラリー・いなげ」と同じ敷地です。 今でこそ交通量の多い国道のすぐ側ですが、かつては目の前に海が広がる別荘には格好の地であったことが想像されます。でも今でも建物の中だけでなくその敷地内に入ると国道が近いとは思えないほどの静寂が感じられます。 神谷伝兵衛は「日本のワインの父」と呼ばれ、浅草で日本で最初のバー「神谷バー」を開店し成功をおさめ、その資金を元に葡萄酒造りに挑戦し本格的な醸造所「シャトーカミヤ」を完成させたそうです。 かっては洋館と和館からなっていたそうですが、現存するのは洋館のみです。この洋館を見てもいかに成功したか推し量られます。 上段左の写真は階段から玄関中央のシャンデリアを入れながらビロティと庭園を写しましたが、このシャンデリアの天井部分もブドウのモチーフが施され美しいものです。 右の写真は一階洋間ですが暖炉もあり、何とも贅を凝らした造りです。でも自分ならここに座っていても落ち着かないな。 下段左の写真は二階和室の天井です。二段折り上げ格天井と云う構造らしいです。見ただけでその豪華さと技術の確かさは伝わります。 右の写真は廊下の天井です。これもまた豪華。小さくて解りませんが右側格子にはブドウのツタが巻き付いていて、伝兵衛のこだわりが感じられます。 左の写真の二階和室床柱はブドウの木だそうです。ブドウの木が床柱になるほど立派に太くなるなんて知りませんでした。 中央の写真は1枚の木からくり抜いたもっこく型窓です。職人さんの技術の高さが伝わってきます。 右の写真は二階から見たちょっと変わった曲線を描いた赤い階段とシンプルだけど美しいシャンデリアに何とも言えないレトロな雰囲気が感じられました。 このWebサイトに関する質問やコメントについては をお送りください。
東京湾の右に富士山が見えます。冬の間は天気が悪くない限り殆ど毎日見えますが、本当に綺麗なのはやはり空気が澄んだ正月の3日間です。後は強風の日、でも写真を撮るのも寒いし風は強いし大変です。 写真では明るい時の富士山は空の色にとけ込んでなかなかはっきり写りません。PLフィルタを付ければもっと綺麗に撮れるのかもしれません。
日が沈む富士山はうっとりするほど綺麗です。どちらかと言うと雲のある日の方が表情があって良いのですが、そんな日は残念ながら富士山も隠れている日が多くなってしまいます。 下段右の写真は一週間後に稲毛からダイヤモンド富士が見られるとのことでしたが、天気予報があまり良くありませんでした。そこで今のうちに撮っておこうと撮ったものです。天気予報通り一週間後は全く富士山は見えませんでした。でも一週間で太陽が沈む位置はそんなに動くのですね。
富士山が見えるような日は東京湾も綺麗です。東京湾の白波が肉眼でもはっきり見えます・・が寒いです。 上段左の写真でははっきりしませんが左が木更津です。ここから東京湾横断道路が延びて、画面右に隠れてしまいましたが海ホタルになります。 右の写真では東京湾横断道路の換気塔と遙か彼方の三浦半島の山が見えます。 下段左の写真では羽田空港が見えます。写真にも写っていますが管制塔のタワーや駐機している飛行機まで見えます。といって飛行機は双眼鏡を使わなければ到底無理です。 右の写真ではゲートブリッジが見えます。この橋は本当に大きいようで肉眼でも確認出来ます。
稲毛駅近辺から見る東京湾に沈む夕日は稲毛海岸のビル群の間になってしまいあまり面白くはありません。上段左の写真はたまたま羽田に着陸する飛行機が夕日の中に入り、雲も面白かったので載せました。 上段右の写真はゲートブリッジの夜景です。480mm相当で望遠で撮ってここまでです。 下段左の写真は二カ所から花火が上がっています。左側の花火は東京ディズニーランドの花火ですが右側下に観覧車が見えます。方角からすると稲毛からは葛西臨海公園とお台場の観覧車が近い角度のありますが、多分お台場の観覧車です。そのアップ写真が右側です。 右側の花火は隅田川花火大会だったと思います。音と花火がずれますが十分楽しめます。
幕張新都心です。一番左の細長いビルがアパホテルです。双眼鏡で見ますとアパホテルの直ぐ左下に新宿の都庁が見えます。 空気が綺麗なときは幕張方向に双眼鏡で東京タワーも見られます。 スカイツリーもビルの間からはっきり見えるのですが、ちょうど下部がどこかのアンテナに重なってしまっています。
夕日は夏になると幕張ビル群の間に沈みます。それもまた人工的ではありますが見応えがあります。 夜は照明がきれいです。スカイツリーもイベントや季節などで照明を色々変えているようですが、撮影できるタイミングが限られますので今まで撮った写真は大体同じに見えます。ダイナミックに変わると違うのでしょうが。
千葉市花火大会は稲毛海岸から千葉港に移り、今は幕張海岸で行われ、「幕張ビーチ花火フェスタ」と呼ばれています。自宅から見ると千葉港の方が近いのですが、雰囲気的には幕張の方がビル群の間から打ち上げられる都会の花火大会という感じです。 2014年は8月2日に開催されましたが、天気も良く風も適当な強さで、これは写真日和とベランダに三脚を立て、望遠レンズと手振れ防止にレリーズをセットしていざ撮影・・。おっとその前に体の準備、早めの食事でまずワインを飲み、更に焼酎に移って準備は整いました。 ところが花火の撮影が結構難しい。遠いので音はあてにできない。シャッタースピードを遅くするとビル群の光が邪魔をする。その上やはりレリーズではシャッター応答に若干遅れが出る。でも楽しみでやっているのだからついでにと色々試してみた結果、最終的に絞り優先F5.6、ISO感度200固定、露出補正−1、手動フォーカスで撮影しました。シャッタースピードは1秒強です。 まあそれなりに面白いのが撮れたかなと、ここに載せてみました。全て花火主体に3:2サイズにトリミングしてあります。 遠くからですので仕掛け花火は全く見えず、音の迫力もあまりなく、19時半に始まって1時間で終了。 打ち上げ花火はそれなりに綺麗に見えましたが、写真を撮っているのが楽しかったと云った感じで、花火大会としてみるとやはり遠くからの観賞は消化不足でした。やはりお腹に響く音も大事な要素ですね。
秋、京成稲毛から浅間神社裏の稲毛公園までを灯籠で照らす稲毛あかり祭りが開かれます。昔の埋め立て前の稲毛海岸では新月の夜にカンテラを灯して潮溜まりの魚を捕る遊び漁「夜とぼし漁」があったそうです。それにちなんで灯籠の夜灯を「よとぼし」と読むそうです。 灯籠のは子供たちや商店街の人たちが作ってくれます。子供たちが両親と自分の作った灯籠を探している姿を見ると微笑ましいです。 左の写真は京成稲毛駅前の消防小屋後に作られた火の見櫓を模した灯りの塔です。せんげん通り商店街は車両通行止めになっていないので道路半分の使用ですが、稲毛公園は一面の灯籠でロウソクの火が揺らぎ幻想的です。 この日は途中から急に土砂降りの雨になり早々に帰宅しましたが、前夜祭も含め色々なイベントがあるようです。
浅間神社横の細い道にあります。中国清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑(ふけつ)夫妻が、新婚時代の昭和12年に半年ほど居を構えた、風情ある建物です。古風な建物、溥儀の書や写真が飾られており、いずれも文化遺産として貴重なものです。 夫妻の地位を考えると質素な造りに感じられましたが、他に見学者もいなかったので自由にゆっくろ見学している内に、ある種の懐かしさを感じました。 庭園は四季折々の花が楽しめるそうですが、時期悪く花を楽しむことは出来ませんでした。春の白雲木(はくうんぼく)が素晴らしいとのことですので、また訪れて見たいと思います。
京成稲毛から浅間神社前の国道を千葉方面に歩いて行くと左側の高台に神谷伝兵衛の旧別荘があります。 「市民ギャラリー・いなげ」と同じ敷地です。 今でこそ交通量の多い国道のすぐ側ですが、かつては目の前に海が広がる別荘には格好の地であったことが想像されます。でも今でも建物の中だけでなくその敷地内に入ると国道が近いとは思えないほどの静寂が感じられます。 神谷伝兵衛は「日本のワインの父」と呼ばれ、浅草で日本で最初のバー「神谷バー」を開店し成功をおさめ、その資金を元に葡萄酒造りに挑戦し本格的な醸造所「シャトーカミヤ」を完成させたそうです。 かっては洋館と和館からなっていたそうですが、現存するのは洋館のみです。この洋館を見てもいかに成功したか推し量られます。 上段左の写真は階段から玄関中央のシャンデリアを入れながらビロティと庭園を写しましたが、このシャンデリアの天井部分もブドウのモチーフが施され美しいものです。 右の写真は一階洋間ですが暖炉もあり、何とも贅を凝らした造りです。でも自分ならここに座っていても落ち着かないな。 下段左の写真は二階和室の天井です。二段折り上げ格天井と云う構造らしいです。見ただけでその豪華さと技術の確かさは伝わります。 右の写真は廊下の天井です。これもまた豪華。小さくて解りませんが右側格子にはブドウのツタが巻き付いていて、伝兵衛のこだわりが感じられます。 左の写真の二階和室床柱はブドウの木だそうです。ブドウの木が床柱になるほど立派に太くなるなんて知りませんでした。 中央の写真は1枚の木からくり抜いたもっこく型窓です。職人さんの技術の高さが伝わってきます。 右の写真は二階から見たちょっと変わった曲線を描いた赤い階段とシンプルだけど美しいシャンデリアに何とも言えないレトロな雰囲気が感じられました。
京成稲毛から浅間神社前の国道を千葉方面に歩いて行くと左側の高台に神谷伝兵衛の旧別荘があります。 「市民ギャラリー・いなげ」と同じ敷地です。 今でこそ交通量の多い国道のすぐ側ですが、かつては目の前に海が広がる別荘には格好の地であったことが想像されます。でも今でも建物の中だけでなくその敷地内に入ると国道が近いとは思えないほどの静寂が感じられます。 神谷伝兵衛は「日本のワインの父」と呼ばれ、浅草で日本で最初のバー「神谷バー」を開店し成功をおさめ、その資金を元に葡萄酒造りに挑戦し本格的な醸造所「シャトーカミヤ」を完成させたそうです。 かっては洋館と和館からなっていたそうですが、現存するのは洋館のみです。この洋館を見てもいかに成功したか推し量られます。 上段左の写真は階段から玄関中央のシャンデリアを入れながらビロティと庭園を写しましたが、このシャンデリアの天井部分もブドウのモチーフが施され美しいものです。 右の写真は一階洋間ですが暖炉もあり、何とも贅を凝らした造りです。でも自分ならここに座っていても落ち着かないな。 下段左の写真は二階和室の天井です。二段折り上げ格天井と云う構造らしいです。見ただけでその豪華さと技術の確かさは伝わります。 右の写真は廊下の天井です。これもまた豪華。小さくて解りませんが右側格子にはブドウのツタが巻き付いていて、伝兵衛のこだわりが感じられます。
左の写真の二階和室床柱はブドウの木だそうです。ブドウの木が床柱になるほど立派に太くなるなんて知りませんでした。 中央の写真は1枚の木からくり抜いたもっこく型窓です。職人さんの技術の高さが伝わってきます。 右の写真は二階から見たちょっと変わった曲線を描いた赤い階段とシンプルだけど美しいシャンデリアに何とも言えないレトロな雰囲気が感じられました。
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