5月、神戸出張がありましたが前日は泊まるだけ、もったい無いのでちょっと京都を一人散策して来ました。 この日は晴天で暑かったのですが、前から一度はと思いながらまだ行ったことの無かった哲学の道散策を目指し、京都駅のロッカーに出張荷物を預けカメラだけ持って市バスに。バスの中で隣のおば様に一日フリー切符(500円で乗り放題)を教えて頂き早速実行。 哲学の道は季節柄新緑は綺麗でしたが、やはり桜か紅葉の時期でしょうね。 結局、哲学の道から寄り道しながら南禅寺三門まで歩き、京都駅に帰るバスに乗りながら途中下車、平安神宮といつもの清水寺にまわってきました。 あちこちで修学旅行生に会いました。数人のグループでノート片手にうろうろ(鑑賞して見てまわると云うより早足で予定をこなしている感じ)、ノルマでもあるのかなと思ってしまいます。 もうひとつ驚いたのはカメラ片手に若い女性の一人旅、たくさんの女性に会いました。自分がもう少し若ければなと考えても意味のないことが頭に浮かびます。実際にはおば様のグループにも結構会ったような気もしますが、興味が無いので覚えていません。 今回はデジタル一眼レフで撮りましたので縦横比が2:3になっています。今までの3:4とちょっとイメージが違います。また広角側が24mm相当まで広がったので奥行きや高さを切り取ることが出来ました。望遠側は135mmでしたのでちょっと寂しかったです。 次回はもう少し望遠側を広げたいなと、如何に交渉するか今から頭を巡らせています。 新緑の時期の京都をイメージしたグリーン系でまとめてみました。 クリックすると大きく見られます。 前に戻るときは「戻る」をクリックして下さい。
哲学の道 ”思索の小径”と呼ばれていたのが、いつしか”哲学の道”と呼ばれるようになったそうです。 春は桜におおわれ、秋は紅葉と観光客も多い散策道ですが、5月は新緑が日光を遮ってくれてそれほど暑さを感じず、せせらぎの音を聞きながらの散策も良いものでした。 なにより観光客が少ないのでゆっくり自由気ままに寄り道をしながらのひとときは出張で来たことを忘れてしまいます。 哲学者西田幾太郎が思索にふけったそうですが、私には哲学的なことは全く頭に浮かびませんでした。そもそも頭の構造が違うのでしょう。 法然院 哲学の道からそれて5分位。小さなお寺で観光客もまばら、と云うより4〜5人しか会いませんでした。 でも静かで苔むした庭など雰囲気は良いですね。茅葺きの山門、それに続く参道や白砂の砂盛、趣を感じます。もう一度訪ねてみたいと思うお寺です。 大豊神社 おおとよじんじゃと読みます。哲学の道からちょっと寄り道をすれば行けちゃいます。 887年(仁和3年)創建だそうで古い神社です。 狛犬でなく狛鼠や狛狐の石像が置かれている珍しい神社です。 5月のせいか誰一人会いませんでした。静かでゆっくり参観できて良いようで、何か不安なようで。 熊野若王子神社 くまのにゃくおうじじんじゃと読みます。 銀閣寺方面から哲学の道を歩いてくると終点近くですが、熊野参詣道の起点と云われています。ここから船で大阪に出て、紀伊路、中辺路を経て熊野本宮へ行く起点です。 進学、縁結びの神様だそうです。でもここでも誰にも会いませんでした。。 南禅寺三門 誰もが知っている臨済宗南禅寺派の大本山。 宇哲学の道散策を終えてぶらぶらと10分も歩くと三門にたどり着きます。二層からなり高さ22mあるそうです。 急な階段登って行くと石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と云ったと伝えられていますが、三門は1628年(寛永5年)の創建なので、それより30年前に釜ゆでの刑にされた五右衛門は登って無いそうです。夢を壊しましたか。 紅葉の時期なら本当に綺麗だと思いましたが、結局少し休憩を取っただけ。入場料の500円は高かったな。 結局、三門に登っただけで次に行くことにしました。 平安神宮 おそらく30年ぶり位の平安神宮です。500円の一日フリーパスで南禅寺近くから京都会館美術館前で下車してちょっと歩いて・・でも一駅でしたのでバスに乗らなくても歩ける距離でした。 修学旅行生のメッカですね。集合記念撮影をしていましたが、最初の慶天門廻りには観光客はいっぱいでも一歩神苑に入ると静かなものでなかなか人に会いません。まあ参観終了時間30分前というのもあったのでしょうが。 最初に日本最古のチンチン電車に遭遇してびっくり。どうして平安神宮の神苑に?と思ってしまいましたが、やはりパチリ。 白虎池では花菖蒲はまだ早かったですが、それでも咲いた時を想像し、今を和ませてくれるには充分でした。 蒼龍池には「臥竜橋」と呼ばれる飛び石の橋があります。そこで大きなスッポンを見つけました。私はスッポンは大好物なので美味そうだと瞬間思いましたが、さすがにすぐ心洗われる環境に戻りました。 泰平閣(橋殿)では優雅に一人本を読んでいる人、二人でおしゃべりしている人達に会いました。ここだけ時間が止まっているような感じです。私には出来そうにないことですが。 清水寺 今更紹介する必要も無いような清水寺です。 平安神宮から京都駅に戻る途中でまた途中下車。あと10分で参観入場終わりですの声にせき立てられて入場。 入れば後は観光客の少ない境内をゆっくりと参観、今まで気づかなかったところがいっぱい。こんなのあったけと再発見です。 写真を見ても如何に人がいないかお解りになると思います。静かな環境で神社仏閣を廻る楽しさを覚えました。 中段右の写真は参道で見つけた常夜灯です。 清水寺で今回の京都は終わり。大阪に移動して翌日の仕事に備えました。勿論、その前に一日歩いた体をいたわるためにグッと一杯やりましたが。 このWebサイトに関する質問やコメントについては をお送りください。
”思索の小径”と呼ばれていたのが、いつしか”哲学の道”と呼ばれるようになったそうです。 春は桜におおわれ、秋は紅葉と観光客も多い散策道ですが、5月は新緑が日光を遮ってくれてそれほど暑さを感じず、せせらぎの音を聞きながらの散策も良いものでした。 なにより観光客が少ないのでゆっくり自由気ままに寄り道をしながらのひとときは出張で来たことを忘れてしまいます。 哲学者西田幾太郎が思索にふけったそうですが、私には哲学的なことは全く頭に浮かびませんでした。そもそも頭の構造が違うのでしょう。
哲学の道からそれて5分位。小さなお寺で観光客もまばら、と云うより4〜5人しか会いませんでした。 でも静かで苔むした庭など雰囲気は良いですね。茅葺きの山門、それに続く参道や白砂の砂盛、趣を感じます。もう一度訪ねてみたいと思うお寺です。
おおとよじんじゃと読みます。哲学の道からちょっと寄り道をすれば行けちゃいます。 887年(仁和3年)創建だそうで古い神社です。 狛犬でなく狛鼠や狛狐の石像が置かれている珍しい神社です。 5月のせいか誰一人会いませんでした。静かでゆっくり参観できて良いようで、何か不安なようで。
くまのにゃくおうじじんじゃと読みます。 銀閣寺方面から哲学の道を歩いてくると終点近くですが、熊野参詣道の起点と云われています。ここから船で大阪に出て、紀伊路、中辺路を経て熊野本宮へ行く起点です。 進学、縁結びの神様だそうです。でもここでも誰にも会いませんでした。。
誰もが知っている臨済宗南禅寺派の大本山。 宇哲学の道散策を終えてぶらぶらと10分も歩くと三門にたどり着きます。二層からなり高さ22mあるそうです。 急な階段登って行くと石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と云ったと伝えられていますが、三門は1628年(寛永5年)の創建なので、それより30年前に釜ゆでの刑にされた五右衛門は登って無いそうです。夢を壊しましたか。 紅葉の時期なら本当に綺麗だと思いましたが、結局少し休憩を取っただけ。入場料の500円は高かったな。 結局、三門に登っただけで次に行くことにしました。
おそらく30年ぶり位の平安神宮です。500円の一日フリーパスで南禅寺近くから京都会館美術館前で下車してちょっと歩いて・・でも一駅でしたのでバスに乗らなくても歩ける距離でした。 修学旅行生のメッカですね。集合記念撮影をしていましたが、最初の慶天門廻りには観光客はいっぱいでも一歩神苑に入ると静かなものでなかなか人に会いません。まあ参観終了時間30分前というのもあったのでしょうが。 最初に日本最古のチンチン電車に遭遇してびっくり。どうして平安神宮の神苑に?と思ってしまいましたが、やはりパチリ。 白虎池では花菖蒲はまだ早かったですが、それでも咲いた時を想像し、今を和ませてくれるには充分でした。 蒼龍池には「臥竜橋」と呼ばれる飛び石の橋があります。そこで大きなスッポンを見つけました。私はスッポンは大好物なので美味そうだと瞬間思いましたが、さすがにすぐ心洗われる環境に戻りました。 泰平閣(橋殿)では優雅に一人本を読んでいる人、二人でおしゃべりしている人達に会いました。ここだけ時間が止まっているような感じです。私には出来そうにないことですが。
今更紹介する必要も無いような清水寺です。 平安神宮から京都駅に戻る途中でまた途中下車。あと10分で参観入場終わりですの声にせき立てられて入場。 入れば後は観光客の少ない境内をゆっくりと参観、今まで気づかなかったところがいっぱい。こんなのあったけと再発見です。 写真を見ても如何に人がいないかお解りになると思います。静かな環境で神社仏閣を廻る楽しさを覚えました。 中段右の写真は参道で見つけた常夜灯です。 清水寺で今回の京都は終わり。大阪に移動して翌日の仕事に備えました。勿論、その前に一日歩いた体をいたわるためにグッと一杯やりましたが。
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